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カーナ農園に寄せる想い

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宮城加亜奈ちゃんに出会ったのは、15年位前になります。小学校1年生の可愛い女の子でした。旅行中、滞在していた沖縄県那覇市のホテルにお母さんに連れられて、会いに来てくれました。お母さんと私がロビーで話しをしている間、加亜奈ちゃんと当時5歳だった私の息子は仲良く遊んでいました。淡いベージュの大理石のフロアーを二人は、ちょっと恥ずかしげに手を繋いで歩いていました。その光景は今も私の心に残る、心温まる風景写真の一枚です。加亜奈ちゃんには重い心臓病があり、お母さんは加亜奈ちゃんの身体的な条件を少しでも良くしようと、懸命な努力をされていました。
大阪の病院へも高度な医療を求めて何度も来られました。大阪の病院で受診される時は、必ず私達の運営する宿泊所をご利用されていました。 加亜奈ちゃんの病状は重く、年に1、2度は必ず大阪へ来られていました。成長するにつれ、加亜奈ちゃんの心臓はどんどん悪化し、お母さんの苦悩や苛立ちも膨れ上がっていきました。 私はただ、お母さんの発する悲鳴のような心の叫びを聞いてあげる事位しかできませんでした。 加亜奈ちゃんは、10歳くらいから体循環が悪いせいなのか、腹水が溜まり、妊婦さんのようにお腹が大きくなって行きました。 そのために、中学校のセーラー服も着ることはできませんでした。お母さんの縫ったふんわりと羽織るような服をいつも身に着けていました。 加亜奈ちゃんはおしゃべりな女の子でした。同じ沖縄出身の歌手の安室なみえさんが好きで彼女の歌をよく口ずさんでいました。 成長の過程において、姑息的な手術を何度も繰り返し、加亜奈ちゃんは病院と中々縁が切れませんでした。 そんな自身の人生に追い込まれたのか、中学生の頃から、精神的に荒れるような事もありました。
そして那覇の病院に入院中、突然ヒステリー状態になり、体が硬直したまま、動かなくなりました。
お母さんの呼びかけにも全く答える気配はありませんでした。
その時、那覇でお母さんが通われていたキリスト教の教会の牧師さんが、毎日病院に通い、加亜奈ちゃんの心が少しずつ開かれていくのと同時に筋肉の硬直も溶けていきました。
そうして少しずつ加亜奈ちゃんは回復して行きましたが、そういう状況下で思春期の精神的に不安定な時期を送っていました。
そんな加亜奈ちゃんが18歳の時、大阪の病院でも難しいと言われていた心臓の根治手術を受けました。
この手術は成功し、その知らせに私も大変安堵しました。
これで、加亜奈ちゃんは元気一杯で、大手を振って沖縄へ帰れると思うと嬉しくてたまりませんでした。 そんなある日、12月なのに珍しく晴れ渡った暖かな昼下がり、私は病院の前の広い道路を車で走っていました。 人影も無く、対向車さえなく、穏やかな陽光に満たされていました。その時、ふと、遠くに車椅子を押して歩く人影が目に入りました。 その人影は加亜奈ちゃん親子でした。病院の植え込みの傍らをゆっくり、散策しているようでした。 私は散歩できるまで回復した加亜奈ちゃんの状態が嬉しくて車の窓を全開すると「カーナちゃーん」と大きく手を振って呼びかけました。 元気一杯で、ルンルンの笑顔がかえってくると期待しながら・・・。私の声に気がつくと、加亜奈ちゃんのお母さんは車椅子を押す手を止めていぶかしげに声のした車の方へ視線を移しました。 お母さんと同じように、加亜奈ちゃんも首を回して車の方へ顔を向けました。しかし、二人の顔は暗く、疲れきっていました。 挨拶の笑顔も無く、ただどんよりとした虚ろな視線でじっと私の方を見ていました。 お母さんだけが、少し手を上げて私の声に答えようとしてくれましたが、私は、心の中で「あれっ!」と思いました。手術が成功して散歩までできるようになったのに・・・。 長年の鬱積が払拭され喜びの真っ只中にいるはずなのに・・・。この親子の暗い表情は私には意外でした。 しかし急ぎの用もあったので、私はそのまま車を走らせて、この親子から遠ざかって行きました。 そんな出来事があって、しばらくして私の事務所に加亜奈ちゃんの訃報が入りました。 那覇の病院へ転院してすぐに、加亜奈ちゃんは、又、ヒステリー症状を起こしました。自身の身体を激しく病室の壁へ打ち付け、錯乱し、終には自身の殻に立てこもってしまいました。 病気が憎い。病院が憎い。親が憎い。自分自身が憎い。
全てを拒否して加亜奈ちゃんは中学生の頃に起こした硬直状態になりました。 瞳孔も開き、硬直した筋肉は点滴の針さえ受け入れませんでした。お母さんや兄弟たちの懸命な呼びかけにも加亜奈ちゃんの反応はありませんでした。 この時は那覇の牧師さんも間に合わず、数日で加亜奈ちゃんは、自ら人生を閉じました。 高度な医療がありながら、心は救えず、痛ましい最期を遂げた加亜奈ちゃんの事は、小春日和の穏やかな日差しの中で、私に向けられた虚ろな表情とともに深く心に残りました。 そうして、2年後、私はたまたま那覇で加亜奈ちゃんのお母さんと会いました。その時、お母さんは自身の所有する広い畑地を案内し、有効利用を相談されました。 私は、加亜奈ちゃんのお母さんがホテルまで持ってきてくれた手作りのハイビスカスのジャムを思い起こして、すかさず「ハイビスカスを植えましょう」と答えました。 日本全国の方々から加亜奈ちゃんへの想いを寄せていただき、お母さんの畑地をハイビスカスの真っ赤な花で埋め尽くしたいと思いました。 沖縄から遠く離れた人にもこの加亜奈ちゃんの険しかった人生に心を寄せて頂き、一本、又一本と増えて行くことが、加亜奈ちゃんの鎮魂にも又、この世に残されたお母さんの心の慰めにもなると思いました。 そうして、私の提案に賛成してくださる方々も増え積極的に運営を考えようとした矢先、宮城さんのお家の事情でこの話しは流れました。 そのままこの案は封印され、月日だけが過ぎて行きました。 しかし、2010年の夏頃から那覇の私の友人達が集う中で、この話しが再燃し、土地を貸してくださる方や運営を手伝ってくださる方々が増え、少しずつ、カーナ農園の話しは現実化してきました。 がんや心臓病、白血病などの難病により、幼くして親と離れ一人旅立たなければならなかった子どもたちのためにカーナ農園にお心をお寄せ下さい。 あなたのそのお気持ちを一つ一つ集め、この南国の地に子どもたちの昇魂の象徴として、真っ赤なハイビスカスの花を咲かせたいと思います。 病気があっても、どの子もあどけなく健気な子どもたちでした。この子どもたちがかつて生きていた事、この世で笑ったり、泣いたりしていたことを忘れないでいてください。 そして、沖縄へ旅して来られた折りには、ぜひカーナ農園へお立ち寄り下さい。あなたのハイビスカスを見にきてください。

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